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第41話 気を引いても虚ろな世界(高銀) 隈無清蔵が病院を出てから、一人の男が正面玄関に踏み入れた。 真選組の隊服をまとい腰に刀を差している。 左眼は顔にかかる髪に隠れて見えないが、その右眼は意志を映したように不敵で油断がない。 一介の平隊士には見えない彼は、その気配を隠すように俯きがちに階段室へ入る。 エレベーターを使うことが多い病院の昇降で階段を選ぶのは先を急いだり、人と会うのを避けたりする場合だろう。 彼は迷うことなく駆け上がり、階段室の鉄扉を開けて目的階の廊下へ至る。 確信をもった足取りで看護師の詰所を通りすぎれば見咎める者はいない。 挙動を間違わなければ不特定多数が出入りする病院で疑われるはずもないことを、場数を踏んできた彼は承知している。 彼──真選組の隊服を着た隻眼の男は、誰あろう鬼兵隊の高杉晋助本人だったからだ。 『目論見どおり』 チラと顔をあげる。 真選組の頭脳と謳われる副長土方はこの場にはいない。 現場を任された責任者の隈無清蔵さえ外してしまえば、あとは頭の回る隊士がいないのは調べ済み。 案の定、凡庸な男が二人、銀時の病室の扉を守るように立っている。 「ごくろうさまです!」 目立つ特徴である包帯は外しているとはいえ、隊服を着ているというだけで彼らは高杉の顔を確認することもない。 このごろ真選組は急に隊士を募集し増員している。 見知らぬ者が多く混ざって新しい顔を覚えきれていないのだろう。 それも計算の内。 高杉は目を伏せがちにしたまま頷いてみせ、扉に手をかける。 銀時の病室。 薄暗いそこは照明が落とされ、非常灯と警報器のランプが緑色の光を放つだけだが、暗闇を見通すことに慣れた目には十分な光量だ。 壁際にベッドが一つあり、そこに身体を丸めて横たわる生身の気配がある。 他に潜む者はいない。 一人体勢で病室を警備していた隈無清蔵が自分と交代したのだから、この部屋には自分と銀時二人きり。 「銀時…」 後ろ手に引き戸を閉めると密やかに声を掛ける。 甘い陶酔。 ベッドまで数歩。 あの毛布の膨らみが銀時のシルエット。 ───!? 高杉は足を止める。 モゾっと膨らみが動く。 「ご苦労さまです、沖田隊長!!」 野太いくせに短兵急な声がこちらへ向かって裏返る。 「そこに忍んでこられたのは沖田隊長ですね!寝てません、寝てませんとも! 不肖神山、隊長の命を一心不乱に遂行中であります!!」 銀時とは似ても似つかぬ粉雑な男がベッドから跳ね起きる。 「隊長の命は一晩中ここで坂田銀時のフリをして寝ていろと!!欺かれた敵を引きつけて一気に叩けと!!流石っス隊長!!作戦は万全っス!!この役に自分を抜擢してくださった隊長の期待に応えるためにも、あの凶悪な辻斬り犯の魔の触手をケツに、いやアナルに、いやアヌスにブッ刺される覚悟で待機し、鋭意任務を全う中であります!!」 「テメェ…」 ギリ、と高杉は歯噛みして神山と名乗るグリグリ眼鏡の隊士を睨み据える。 手は刀の柄にある。 「銀時は何処だ」 「ややっ?お前は隊長ではない?ではいったい何番隊の」 「黙れ」 神山の声を挫く。 「銀時は何処だって訊いてる。答えねェ気か」 「ひいいぃ!」 神山はベッドの向こうへ腕を翳して後退る。 声だけで喉笛を噛み砕かれそうな威圧に神山は血の気が引く。 暗がりに相手の顔を見れば、その眼には怒りと憎悪が炎のように巣食っている。 「と、隣りに居ます。本当の病室で休んでおられます…!!」 その瞳の闇の奥深さを正視できず神山は声を震わせる。
「隣り?」 その強者がふと神山から視線を逸らして思案する。 神山がポケットの端末を握りしめ、指で異変を知らせる警報を鳴らしたのは、その与えられた一瞬の隙を得たからに他ならなかった。 途端に病棟のスピーカーからサイレンが流れ出す。 廊下で隊士たちが敵襲を知って騒ぎ出す。 その護衛たちが向かったのはこの部屋ではなく、銀時が休む隣室で。 神山は携帯端末を握りしめたまま己の死を覚悟する。 腰には刀があったが、とても抜くまで命がもつとは思えなかった。 「…そうか。そういうことか。一杯食わされたな」 隻眼の視線が戻ってくる。 その瞳は笑っている。 「土方に伝えとけ。次は外さねェ、ってな」 「……イッ、イエッサー!!伝えときます!!」 神山は泣き出しそうな顔で敬礼すると、ヘナヘナとベッドに尻餅をつく。 高杉が身を翻し、病室の扉を開けて出ていくのを息を呑んで見つめていた。
銀時は毛布を剥がれて迷惑そうに抗議する。 「誰も来てねェし、俺寝てただけだしィ!」 両腕で眼を隠す。 「ちょ、まぶしいんだけど」 「旦那、すみません電気つけさせてもらいます!」 「ぎゃあぁぁぁ!やめろ俺を殺す気ィィィ!?」 「探せ、どこかに居るぞ!」 「クッソ~、テメーら覚えとけよ!」 銀時は誰もいないことを確認されたベッドの上で懸命に毛布をかぶる。
「つまり」 現場の隊士から仔細を聞きとった土方は目を閉じたまま眉を寄せる。 「ウチのGPS受信端末の電波は乗っ取られていたってわけだ」 「…はい。そうとしか思えません」 屯所から駆けつけた隈無清蔵は銀時から受け取った屯所用携帯電話を握りしめて見下ろす。 「着信は確かに屯所からでした。私が聞いたのはカラクリを通してですが副長の声に聞こえました」 「鬼兵隊の武市が変声器を持ってたな」 土方は眉間を押さえる。 「問題はあっさり声を真似られたことより、屯所が改装中であることや隈無が厠の設備を変えたがっていたという真選組の内情をつぶさに握られていたことだ」 「アンタの配備も漏れてたぜ、土方さん」 沖田が横から指摘する。 「なんせ部屋詰めが清蔵さんだって相手に筒抜けだったんですからねィ」 「うるせえ」 土方はぎゅっと目を瞑る。 「万事屋は無事だったし隊士も無傷、病院に実害は出しちゃいねぇだろ」 「まあ囮部屋を仕掛けるってのは悪くなかったかもしれねーや」 沖田が隈無と神山を見やる。 「作戦がうまく運んだのは俺の人選のおかげだけどな」 「た、隊長ォォォ!!」 神山が沖田の前の床に這いつくばって頭を下げる。 「申し訳ありませんーッ!!敵の頭目を前に自分は白刃を交えることもできずッ!!ただ無為に隊長のお戻りをお待ちするしか能がなくッ!!」 「非常ボタンを押したろィ。お前はそれで十分役に立ったんだ」 「しかし隊長ォォォ!!自分は竦んでしまった!!畏れてしまった!!凶悪なテロリストをッ真選組随一の敵である高杉晋助を前に怯えて震えていたなんて自分で自分が許せないっ!!我慢できないっス!!」 「竦んだおかげで助かったんだ。やたらな動きをしてたら斬られてたぜィ」 「私もそう思います」 隈無清蔵が神山の肩に手をかける。 「廊下の見張り二人を、あえて隣りの病室の前に立たせる。本物の坂田さんの病室の前には誰も居ない。高杉はニセの病室を本物と思い込んで入っていく。待っていたのは神山というわけですが、その過程で死傷者が出なかったのは神山も廊下番の隊士もさして高杉を警戒しなかったことでしょう」 「どんなに周到にしても穴があく。だったら最初から穴を作っときゃいい。うまくすりゃ『岡田』が引っ掛かる。そう思っちゃいたが…高杉たァな」 ハァ、と俯く。
「アイツが信州の山の中へ現れたワケが解ったぜ。奴はあの時からウチのGPS端末の受信波を自在にキャッチしてやがったんだ。万事屋の居所を端末情報で調べながらヘリで現場に急行した。そんだけの話だ」 沖田が促す。 「どうするんでィ土方さん。このメンツで一晩中ここを守れってなら詰めやすけどね。手の内はバレてんだ。囮部屋以外の、あらゆる賊の襲撃に備える別の秘策を頼みまさァ」 「………退院させる」 土方はようやく決断した。 「今から医者に掛けあってくる。明日まで待てねぇから今すぐ退院させてくれってな」 「最初からそうすりゃ良かったんでィ」 「いい御判断です。副長」 「これでまた真選組の強引なやり口に悪評が立ちますね!!深夜の横暴な退院要求!!しかし自分はそんな逆境に負けることはない!!運命共同体とも呼べる沖田隊長とともに在る限りはっ!!」 「うるせぇ。撤収の準備しとけ」 土方は両ポケットに手を入れて囮の病室を出ていく。
病院側との折衝を経て銀時の身柄を大江戸病院から屯所へ移すこととなった。
一番厄介なのは銀時の説得だと見込んでいたが意外にも銀時はすんなり了承した。 「俺もそろそろ畳の上が恋しいと思ってたから?構わねーよ全然」 こころなしか銀時の声が端々で弾んで聞こえる。
「昼間より夜のがまぶしくないしなァ」
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